今は使用されていませんが、郷分・山手・佐波・神島の四ヶ村へ農業用の灌漑用水を送っていた水路でした。水は流れていませんが、このようにそのまま残っています。
この用水路は水野時代につくられました。そのとき、中谷に監視小屋をつくりました。やがて監視小屋が不用になって、払い下げを受けたのが藤川氏で、こうして藤川一党が中谷に住むようになりました。
この用水路は芦田川から取水しており、樋門の鍵は下谷の三好氏(トギヤ)が持っておりました。三好氏の家は下谷の入口にあり、現在は屋敷跡と井戸が残されています。
今は使用されていませんが、郷分・山手・佐波・神島の四ヶ村へ農業用の灌漑用水を送っていた水路でした。水は流れていませんが、このようにそのまま残っています。
この用水路は水野時代につくられました。そのとき、中谷に監視小屋をつくりました。やがて監視小屋が不用になって、払い下げを受けたのが藤川氏で、こうして藤川一党が中谷に住むようになりました。
この用水路は芦田川から取水しており、樋門の鍵は下谷の三好氏(トギヤ)が持っておりました。三好氏の家は下谷の入口にあり、現在は屋敷跡と井戸が残されています。