昔は養蚕の神様でしたが、羽賀沖の桑畑がなくなって養蚕農家がいなくなりますと、参拝者もなく、捨てられた存在になってしまいました。そこで羽賀の住民が、艮神社として再興しました。この神社は新しく、大正時代にできたと思います。
猿神さん【八幡神社にまつわる逸話】
昭和の初めの頃、八幡神社の裏に、猿神さんが祭られていましたが、何時頃からか判りませんが、古老の話に依ると、明治中期の頃、まだ羽賀が芦田川を挟んで両方に住んでいた時に、川に掛けた石橋を猿がよく通るので、捕まえてやろうという事になり、若者達が橋の上で挟み撃ちにした。
逃げ場を失った猿が、橋の上で手を合わせていたが、構わずに叩き殺した。猿はお腹の中に「赤ちゃん」がいたと言う事。
その時の記念に、猿の手を持っていた家に不幸が続いたので、八幡神社の後ろの山を開いて、社を造りお祀りをしたとの事です。
お祭りの当日は、何処にあれだけの猿がいたのかと、思う位、多くの猿がやって来て、八幡神社の裏の松の木に鈴なりになったと言う事です。
それから毎年、祭りの当日には、大きな猿が神辺の方からやって来て、部落の中を歩き回って帰っていましたが、戦時中に社を神社参道脇に移してからはあまり来なくなったようです。
神社境内から参道脇に移したのは、神主が拝んでいる時に、神社境内では肩身が狭く、いづらいので別の所に移して欲しいとの事で、参道脇に移したとの事らしい。