羽賀の山は五つの峰からできています。一番東の端の山が仏伏山で、明神さんが下の方に祀ってありました。中の山が八幡山で、その西が月居山です。そしてその後ろが信林山、一番高い山が茶臼山で城山です。このように五つの峰になっています。
山の北側に、西から上谷・中谷・それに下谷と三つの谷があって、それぞれの谷に民家がありました。羽賀には昔から藤井・三好・橋本・小林・藤川という姓の家が多かったわけです。
上谷には藤井一党と、山下とか、藤原という姓の人が住んでおりました。中谷には藤川一党、下谷には三好一党に、橋本・小林という姓の人が住んでおりました。そして下谷が一番戸数が多く、中谷には三軒か四軒しかなく、一番戸数が少なかったようです。
羽賀の戸数は、元和の頃は羽賀崎20余戸、正徳頃も20余戸、文化の頃もあまり増減がなく、大正初期には27戸です。戦後羽賀の青年団は新茶屋と一緒で新羽といっておりましたが、その頃も羽賀の戸数は22戸から27戸で、増減はすくなかったようです。